浄土真宗ってどんな教え?
ひとことでお伝えするのは難しいのですが、あえて簡単に申し上げますと、阿弥陀様が、この「私」に南無阿弥陀仏とお念仏をさせ、そのお念仏のはたらきによってこの「私」が間違いなくお浄土に生まれさせていただき、「ほとけ」とならせていただくという教えです。
また「ほとけ」になることがいつ決定するのか、といいますと、それはお念仏をいただいた「今」です。
浄土真宗ではお浄土に生まれることを「往生(おうじょう)」といいます。一般的に往生できるかどうかが決定するの死後と捉えられがちですが、決してそうではありません。
お念仏をいただいた瞬間、そのままの姿のまま往生が決定するのです。
真宗木辺派の「〇〇派」って何ですか?
「真宗木辺派」とは、浄土真宗教団のひとつです。
よく、
「覚円寺さんは、西ですか?東ですか?」
って聞かれます。
「いえいえ、ウチは木辺派なんです」
って答えると、だいたい
「は?木辺派ってなんですのん?」
ってなるわけですよ。
西本願寺と東本願寺があまりに大きいので、一般に浄土真宗にはこの二つの派しかないように思われているところがあります。
実は浄土真宗には歴史的な経緯からたくさんの本山があり、それぞれに派があります。覚円寺は滋賀県野洲市にある錦織寺を本山とする、真宗木辺派に属しています。
そして本山の大きさや所属寺院の数はさまざまですが、それぞれの本山には上下の関係はなく、横並びとなっています。
また、各本山にそれぞれの歴史と伝統があり、作法やご紋(エンブレム?)が違ったりという特色はありますが、親鸞聖人をご開山とする浄土真宗としてのおしえは同じです。ですので、本山が違っていてもケンカをしたり、言い争っているわけではありませんので、どうぞご安心下さい。
また、各宗派が協力して活動している組織として「真宗教団連合」があります。
毎年、カレンダーの制作や僧侶の研修をおこなっています。
真宗教団連合加盟の本山・宗派は以下の通りで、「真宗十派」と呼ばれています。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)
真宗大谷派(東本願寺)
真宗高田派(専修寺)
真宗仏光寺派(仏光寺)
真宗興正派(興正寺)
真宗木辺派(錦織寺)
真宗出雲路派(毫摂寺)
真宗誠照寺派(誠照寺)
真宗三門徒派(専照寺)
真宗山元派(証誠寺)
お墓や納骨堂ってありますか?
覚円寺にはありませんが、本山にはございます。
残念なことに、覚円寺は極めて小さいお寺です。
ですので、お墓や納骨堂はありません。
しかし、本山錦織寺には立派な墓地や納骨堂があります。
お問い合わせいただければ、お取次ぎさせていただきます。
お寺との付き合いかたがよく分からないんですが?
あまり難しく考えなくていいのではないかと思います。
初めてお寺とのご縁を結ばれるときって、
「なんか厳しそうな人が来るんじゃないだろか?」
「怒られたりするんじゃないだろか?」
「ややこしいこと(寄付とか?)を強制されたりするんじゃないだろか?」
なんて、色々不安なことをお考えになることもあるでしょう。
でも、お坊さんも普通の人です。特に浄土真宗のお坊さんは見た目からして
「フツー」
だったりします。(髪の毛がある人も多いし)
お寺との付き合いかたも、色々あっていいと思います。
実際、毎月のお参りに寄せていただいているご門徒さんもあれば、法事だけというお宅もありますし、「写偈」だけに来ていただいている方もおられます。
それぞれのご事情に合わせたかたちでいいのではないでしょうか。
また、わからないことは遠慮せずにどんどん質問されるのがいいと思います。
どういう形であれ、お寺とつながりを持っていただいて、仏教や浄土真宗の教えに親しんでいただくことが一番大切だと考えています。
あ、少なくとも覚円寺では、多額の寄付を強制したりいたしません!
ただし、寄付していただけるのであれば断りもいたしません。
お布施やご懇志の額ってどうなのよ?
覚円寺ではお布施、ご懇志の金額を決めてはいません。
主体となるのはお布施をされる側のみなさんです。
お布施やご懇志の額については、よく質問されることが多いんですよね。
確かに、はっきりとした金額をお示ししたほうが分かりやすくていい、親切だ、という考え方があるのは重々承知しています。金額を示しているお寺があるのも理解しています。
また昨今では金額を明示した僧侶派遣サービスが人気だとか。
しかし、本来お布施やご懇志というものは、何かのサービスを受けた「対価」としてあるものではありません。
あくまでも、そのお寺や本山を護持していくための、いわば「寄付」のようなものと考えていただきたいと私は思っています。
ですので、覚円寺では金額を示していません。
先代の住職がこう申しておりました。
「少なくても結構、多くても怒りませんよ。(笑)」
私は先代のこの考えを引き継ぎ、今に至っております。
金額の多少は阿弥陀様のおはたらきには何の影響もありませんから!
無理のない程度で結構ですよ。
お参りに来てもらったとき、お坊さんはナニするの?
基本的に読経とお話しです。
ご法事や月命日のお参りに、ご門徒さんのお宅に寄せていただくことは多いです。というか、ほぼ毎日どなたかのお宅にお邪魔しています。
で、お参りに伺った際にお坊さん…というか私がナニをしているのかって、今までご縁のなかった方にとってはブラックボックスというか、さっぱり分からないことでしょう。
「なにかアヤシイことをしているのかっっ!」
…そんなことはないわけで。
だいたいこのような流れです。
普通にお仏壇の前に座らせていただいて、ほとけさまにご挨拶。
おうちの方にもきちんと挨拶。(ここでつい、おしゃべりが盛り上がったりしてしまうことも…)
お経を読みます。
お経が終わったら、色々お話しをします。できるだけご法義(教義のこと)についてお話しするようにしているのですが、全然関係ないお話に花が咲くことも多々あります。(ここは反省)
おうちの方にご挨拶。
ほとけさまにご挨拶。
帰ります。
というような感じです。
私の場合、月命日のお参りでだいたい30分、ご法事で1時間程度お邪魔しています。
あと、特にご法事の際にはお経本をお配りして、みなさんと一緒にお勤めするようにしています。
お参りって何のためにするの?
お参りは、阿弥陀様、ほとけさまとなられたご先祖様に感謝する場です。
宗派によって色々な考え方があると思いますが、ここはひとつ浄土真宗の考え方について書かせていただきますよ。
まず知っていただきたいのは、
浄土真宗のお参りは、亡くなった方やご先祖さまの鎮魂や成仏を願うためにするのではない
ということです。
亡くなった方やご先祖さまは、阿弥陀さまのお念仏のご縁を「私」につないでくださる「ほとけさま」です。
そして、お念仏によって救われているのは、他の誰でもないこの「私」です。
お参りは、お念仏によって救ってくださっている阿弥陀さま、ご縁をつないでくださっている先祖さまへの「感謝の場」なのです。
ご葬儀の意味って?
ご葬儀とは、亡くなった方としっかりと向きあう場です。
大切な方を亡くしたときに営む「ご葬儀」。
ついこの間まで、一緒に過ごしていた方を失うということはとても寂しく、悲しいことです。
しかし、亡くなるということは、単なる「お別れ」ではないのです。
確かにこの世での人生は閉じられるのですが、亡くなるということはその時から「ほとけさま」として生まれ変わるということでもあります。
「ほとけさま」となられた方は、その瞬間から私たちに色々なことをお教えくださいます。
「人は必ず死ぬのだ」
「あなたは今、どう生きているか、自身にしっかりと問いなさい」
「死」というものが決して他人事ではない、自分の問題であるということにしっかりと向かいあい、故人のメッセージに耳を傾ける場がご葬儀であると私は考えます。
「悲しいけど、ありがとう」