9月度「写偈」を開催しました

9月27日、毎月恒例となっております「写偈」を開催いたしました。

今回は初参加の方も数名おられたことから、15時からの住職法話では、「仏教とは」という基本に立ち返ったところからお話しをさせていただきました。

仏教とは文字通り「仏の教え」であります。2500年前にインドでお釈迦様が説かれた教えを仏教と言います。同時に仏教とは「仏に成る教え」なのです。

では、一体誰が仏になる教えなのか?

それは「私自身」以外ありません。

私自身を抜きに仏教を聞かせていただいても、それでは仏教の意味を成しません。お経にしても、高僧方が著わされた書物も、「私が仏に成る」ことについて描かれています。それを分かったうえで、仏教と言うものに触れていかねばなりません。

さて、『正信偈』の内容について今回は、七高僧の第二祖・天親菩薩についてあらわされたご文のところをお話しさせていただきました。

天親菩薩はその著『浄土論』のはじめに

「世尊、我一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に往生せんと願ず」

とおっしゃいました。世尊とはお釈迦様のこと、尽十方無碍光如来とは阿弥陀様のこと、帰命とはまかせること、安楽国とはお浄土のことです。

親鸞聖人は、天親菩薩がこのご文の中におっしゃった「一心」こそ正しい信心である、と重要視されます。

その一心とは、自分が一所懸命に作り上げる「自力の一心」ではなく、阿弥陀様にすべてお任せする「他力の一心」です。

すべてお任せするということは、阿弥陀様が

「あなたを必ず浄土に生まれさせる、”南無阿弥陀仏”と私の名をよべ」

とおっしゃることを、

「私は浄土に生まれさせていただきます。南無阿弥陀仏」

と、ただただそのまま受け取ることです。

そこには私自身のはからいといったものは、一切何も含まれていません。
親鸞聖人は、阿弥陀様のお心をそのまま頂くことこそ「他力の一心」であり「正しい信心」のあり方であるとされ、『正信偈』に

「広く本願力の回向によりて、群生を度せんがために一心を彰す

と、天親菩薩を讃嘆されるのでした。