10月度「写偈」開催のお知らせ

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暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、今年の秋の訪れは暦どおりになりましたね。暑い夏、本当にお疲れ様でした!
みなさんよく乗り越えました!

今年はコロナのおかげで、いつもの夏ではない過ごし方をされた方も多かったのではないかと思います。
これからしばらくの間は過ごしやすい期間です。夏の疲れを癒してくださいね!

さて、10月も消毒液準備、換気等、コロナ対策をとったうえで「写偈」を開催いたします。秋の夜長(写偈は昼間の開催ですが(笑))、心を落ち着かせて筆を取るのはいかがでしょうか?
どなたさまもご参加できますので、お気軽にお越しください。

よろしければ、当日はマスクを持参のうえご参加いただければ、と思っております。
15時からは住職によるプチ法話&ご文の解説をさせていただきます。

日時:令和2(2020)年10月25日(日)13時~17時
参加費:500円(前回来られて、用紙の続きをされる場合は300円)
持ち物:特に必要ありませんが、ご自身の筆を使われる方はお持ち下さい。

時間内でしたら、いつお越ししただいても、お帰りいただいてもOKです。
ただし、法話のあと参加者の方がすべて帰られるなど、その時の状況をみて終了時刻を早めることもございますので、どうぞご了承ください。

9月度「写偈」を開催しました

9月27日、毎月恒例となっております「写偈」を開催いたしました。

今回は初参加の方も数名おられたことから、15時からの住職法話では、「仏教とは」という基本に立ち返ったところからお話しをさせていただきました。

仏教とは文字通り「仏の教え」であります。2500年前にインドでお釈迦様が説かれた教えを仏教と言います。同時に仏教とは「仏に成る教え」なのです。

では、一体誰が仏になる教えなのか?

それは「私自身」以外ありません。

私自身を抜きに仏教を聞かせていただいても、それでは仏教の意味を成しません。お経にしても、高僧方が著わされた書物も、「私が仏に成る」ことについて描かれています。それを分かったうえで、仏教と言うものに触れていかねばなりません。

さて、『正信偈』の内容について今回は、七高僧の第二祖・天親菩薩についてあらわされたご文のところをお話しさせていただきました。

天親菩薩はその著『浄土論』のはじめに

「世尊、我一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に往生せんと願ず」

とおっしゃいました。世尊とはお釈迦様のこと、尽十方無碍光如来とは阿弥陀様のこと、帰命とはまかせること、安楽国とはお浄土のことです。

親鸞聖人は、天親菩薩がこのご文の中におっしゃった「一心」こそ正しい信心である、と重要視されます。

その一心とは、自分が一所懸命に作り上げる「自力の一心」ではなく、阿弥陀様にすべてお任せする「他力の一心」です。

すべてお任せするということは、阿弥陀様が

「あなたを必ず浄土に生まれさせる、”南無阿弥陀仏”と私の名をよべ」

とおっしゃることを、

「私は浄土に生まれさせていただきます。南無阿弥陀仏」

と、ただただそのまま受け取ることです。

そこには私自身のはからいといったものは、一切何も含まれていません。
親鸞聖人は、阿弥陀様のお心をそのまま頂くことこそ「他力の一心」であり「正しい信心」のあり方であるとされ、『正信偈』に

「広く本願力の回向によりて、群生を度せんがために一心を彰す

と、天親菩薩を讃嘆されるのでした。

令和二年度秋季彼岸会永代経をお勤めしました

9月20日、覚円寺では無事、秋季彼岸会永代経のお勤めをさせていただきました。
コロナウイルスの影響で、春の彼岸会は5月に延期したうえで、さらに寺族のみでの「内勤め」という、少々寂しいものになってしまったため、今回無事にお勤めできたのは大変うれしかったです。

これからは、消毒液の準備や換気などの対策をとりながら、様子を見つつ行事を進めていかねばなりませんね。

今回は大阪府堺市・旭照寺から、山上正尊先生にご講師としてお越しいただきました。

親鸞聖人が著わされた『教行信証』「真仏土巻」の最初のご文、

「つつしんで真仏土を案ずれば、仏はすなはちこれ不可思議光如来なり、土はまたこれ無量光明土なり。しかればすなはち大悲の誓願に酬報するがゆゑに、真の報仏土といふなり。すでにして願います、すなはち光明・寿命の願これなり」

をご讃題として、真実報土・方便化土について分かりやすくお話しいただきました。私たちは常識として、分別することを良しとして生活していますが、お浄土、それも真実報土と呼ばれる「本当の」お浄土は、私たちの常識・分別を超越した世界である、ということを教えてくださいました。