8月度「写偈」のご案内

私、毎日の猛暑にまだ身体がついていっていない気がします。
みなさん、大丈夫ですか?ちゃんと水分補給してますか?
どうか体調管理には充分お気をつけ下さい。

さて、そんな猛暑の8月ですが、暑さにめげず「写偈」を開催します!
今回はお盆明けの18日!涼しく冷やした本堂でお待ちしています!
Let’s 正信偈!!

あ、道中は暑いので日傘などの対策は忘れずに!
ちなみに私はいつからメンズ日傘を導入すべきか、悩んでいます。

日時:令和元(2019)年8月18日(日)13時~17時
参加費:500円(前回来られて、用紙の続きをされる場合は300円)
持ち物:特に必要ありませんが、ご自身の筆を使われる方はお持ち下さい。

時間内でしたら、いつお越ししただいても、お帰りいただいてもOKです。
15時からは恒例となりました、住職プチ法話もさせていただきます。

7月度「写偈」のご案内

梅雨ですねぇ。この時期はいつ雨が降るか分からないので困ります。
みなさんどうお過ごしでしょうか。

さて、7月も「写偈」を開催いたします。
ちなみに筆で書き写させていただくこの『正信偈』、正式には『正信念仏偈』といいます。
親鸞聖人が浄土真宗の「正しい」「信心の」「念仏」をあきらかにされ、同時にその信心念仏をご自身のうえでの慶びとしてあらわさんとの思いからお作りになられた偈文(漢詩)です。
浄土真宗の各派でそれぞれ読み方の「ふしまわし」は違うものの、浄土真宗の教えがすべて込められているものとしてとても大切にされています。

「写偈」では15時頃から、その『正信偈』の内容、味わいについて、住職ができるだけ分かりやすくお話しさせていただきます。

まだ『正信偈』に触れたことのない方、筆で偈文を書き写してみたいと思われる方も一度お寺にお越しください。
お茶とお菓子を用意してお待ちしています。

日時:令和元(2019)年7月21日(日)13時~17時
参加費:500円(前回来られて、用紙の続きをされる場合は300円)
持ち物:特に必要ありませんが、ご自身の筆を使われる方はお持ち下さい。

時間内でしたら、いつお越ししただいても、お帰りいただいてもOKです。

6月度「写偈」のご案内

お知らせが大変遅くなってしまい、誠に申し訳ございません。
6月度も写偈、行いますっ!

このサイトをご覧になって、「写偈ってなんだ?」「写経の間違いではないの?」と思われたそこのあなた!
写偈というのは、親鸞聖人が作られた『正信偈(しょうしんげ)』を筆で写し、味わおうという企画です。
『正信偈』は「偈文(げもん)」、つまり漢詩のひとつです。正確にはお経とは違うということで、私どもでは写経ではなくあえて「写偈(しゃげ)」と呼んでいます。
お寺にお越しのうえ、一度ぜひご参加下さい!

日時:令和元(2019)年6月30日(日)13時~17時
参加費:500円(前回来られて、用紙の続きをされる場合は300円)
持ち物:特に必要ありませんが、ご自身の筆を使われる方はお持ち下さい。

時間内でしたら、いつお越ししただいても、お帰りいただいてもOKです。

15時からは「住職法話」もさせていただきます。
『正信偈』の内容についてお話しをしますので、こちらのほうもどうぞよろしくお願いいたします。

5月度「写偈」のご案内

新しい元号「令和」がやってきます。
平成の時代から続けてまいりました「写偈」、令和になっても継続いたします!

親鸞聖人がお作りになられた『正信偈』を筆(もしくは筆ペン)で写すことによって、親しんでいただきたいというこのイベント。

お寺なんて行ったことがないな。
浄土真宗ってどんなんだろう。
最近筆なんて持つことがないなぁ。
「写偈」?なにそれ?おいしいの?

なんて方、大歓迎です!
椅子席もご用意しておりますので、畳に座るのが苦手な方も大丈夫です。用紙も「なぞるタイプ」「お手本タイプ」の二種類を準備しています。
どうぞお気軽にお越し下さい。

日時:令和元(2019)年5月26日(日)13時~17時
参加費:500円(前回来られて、用紙の続きをされる場合は300円)
持ち物:特に必要ありませんが、ご自身の筆を使われる方はお持ち下さい。

時間内でしたら、いつお越ししただいても、お帰りいただいてもOKです。

また15時からの「住職法話」もさせていただきます。
今回も『正信偈』の一文をテーマにお話しをさせていただきたいと考えております。こちらもどうぞよろしくお願い致します。

4月度「写偈」のご案内

少しだけ暖かくなってきたような感じがします。
テレビを見てますと、桜の開花情報はちらほらと聞かれるようになりました。
しばらくは過ごしやすい季節となりますね。

さて毎月恒例「写偈」のご案内です。
今回、平成最後の開催となります。でも写偈は新元号になってもまだまだ続きますよ~。

日時:平成31(2019)年4月14日(日)13時~17時
参加費:500円(前回来られて、用紙の続きをされる場合は300円)
持ち物:特に必要ありませんが、ご自身の筆を使われる方はお持ち下さい。

時間内でしたら、いつお越ししただいても、お帰りいただいてもOKです。

また15時からの「住職法話」もさせていただきます。
お話し下手で申し訳ないことでありますが、できるかぎり分かりやすい法話を目指したいと思います。
みなさまのお越し、心からお待ちしております!

福島区花まつりを開催します

福島区仏教会では、今年も「花まつり」を開催いたします!

どなたでも入場無料でご参加いただけます。
当日はお釈迦様の像に甘茶をおかけし、お誕生をお祝いするほか、コーラスやマジックショーのお楽しみもあります。

さらに限定300名様にはお菓子などのおみやげつき!

みなさんこぞって「花まつり」にお越し下さいね!

日時:2019年4月5日13時~15時
場所:福島区民センター(大阪市福島区吉野3丁目17-23)

第1部
式典・灌仏・お祝いの言葉
第2部
コーラス(聖天保育所和光園・第二和光園園児)
「マジック&バルーンショー」(マジシャン:ボンバーハタ マジックガール:スージー)

春季彼岸会永代経をおつとめします

平成31(2019)年3月30日(土)14時から16時ころまで
講師 浄土真宗本願寺派布教使 加藤真悟師

お彼岸の時期がやってまいりました。
彼岸とは此岸(しがん)に対する言葉で、彼(か)の岸、つまり河を挟んだあちら側ということで、浄土をあらわすそうです。
このお彼岸の法要、実は日本で始まった行事であるという説が有力です。一説には聖徳太子のころから始まったとか。

常に阿弥陀さまのお慈悲の光に照らされている浄土真宗の念仏者は、お彼岸だからといって何か特別な修行や善いことをしなくてはならないわけではありません。
しかし、古くからあるこのお彼岸という風習も、私たちが必ず生まれさせていただくお浄土に思いをはせることのできる、大切な仏縁のひとつとして受け止め、阿弥陀さまへのご恩報謝につとめさせていただく法要として受け継がれれてまいりました。
ぜひともこのご縁にお寺へお参り下さい。

法要当日はみなさんと一緒に『仏説阿弥陀経』をおつとめさせていただいたあと、ご講師からご法話をいただきます。
経本はこちらで用意いたしますので、お念珠をお持ちのうえお越し下さい。

なお、多少は問いませんので、法要の運営費となるご懇志をお持ち下さいますと、お寺としては大変助かります。

3月度「写偈」のご案内

3月度の写偈開催のご案内です。

日時:平成31年3月17日(日)13時~17時
参加費:500円(前回来られて、用紙の続きをされる場合は300円)
持ち物:特に必要ありませんが、ご自身の筆を使われる方はお持ち下さい。

時間内でしたら、いつお越ししただいても、お帰りいただいてもOKです。

3月に入り、少しだけ暖かくなってまいりました。どうぞお散歩がてらお寺にお越し下さい。

また15時の「住職法話」、今回もさせていただきます。
最近は法話後のフリートークのほうがが長くなっている気がしますが…。

みなさまのお越し、心からお待ちしております!

2月度「写偈」のご案内

年が明けたと思ったらもう2月、あっという間に時が過ぎていきますね。
私もいいお歳になってきたせいか、なんか一日が短く感じるようになってきたような気が…。

さて2019年2月度の写偈のご案内です。

2019年2月24日(日)13時~17時
参加費:500円(前回来られて、用紙の続きをされる場合は300円)
持ち物:特に必要ありませんが、ご自身の筆を使われる方はお持ち下さい。

15時からは住職プチ法話を行います。質問コーナーも設けますので、お気軽に疑問などを投げかけて下さい。分かる範囲ではありますが、お話しさせていただきます。

平成31年度報恩講をおつとめしました

昨日1月20日、覚円寺の報恩講が無事つとまりました。
昨年に引き続き、本願寺派布教使である喜多唯信先生をご講師に迎え、ご法話を頂きました。今回のご法話を私なりにまとめてみたいと思います。

とかくこの世界というものは、色々なものを差別しています。
土俵には女性が登れないであるとか、LGBTの人や障がい者には 生産性がないとか、もう差別だらけです。

無意識的に最も差別していると言えるのは「正と死」でしょう。
生に対して死は穢れ(けがれ)であって、忌み嫌うべきものと 思っています。

しかし、仏教ではこの「穢れ」というものを認めません。
最近「お寺の掲示板」が注目されていますが、あるお寺の 掲示板に釈尊のことばとして

「次はお前の番だ」

というのがあったそうです。
ほんとうは生きていることのほうが不思議であって、誰にでも 死は必ずやってくるということをあらわされたのでしょう。

さて私たちは自分の都合で良いものと悪いものを分別しています。
これに対し仏教では全てを平等と見ます。

釈尊のお弟子の中にウパーリ(優波離)という方がおられました。
ウパーリさんは理髪師だったそうです。当時のインドではカースト制が今以上に社会に浸透しており、人の髪に触れる理髪師は底辺層であると されていました。

ウパーリさんが出家をしたいと釈尊に申し出たとき、釈尊は同じ時期に 出家をしようとしていた貴族の人よりも先に出家ができるように 働きかけたそうです。

その後釈尊の説法の場で、出家した貴族の人が、底辺層であるウパーリさんよりも上座に座ろうとしたところ釈尊はそれをたしなめ、ウパーリさんを 上座に座らせたということがありました。

釈尊の教団では、一般の価値観は取り入れていません。
教団内では、先に出家をした者を目上のものとし、座る場所も 上座であるとされていたのです。そこにはカースト制での上下の差は なく「法の下での平等」の教えがあったのです。

長い時を経て仏教が日本に伝わり、平安末期から鎌倉初期という時代にこの 「法のもとでの平等」という教えを再び見出し、全てのものが救われる法門を立られたのが法然上人であり、それを究極まで高めてかれたのが親鸞聖人 というお方でありました。